沼田城真田氏関係年表
沼田城と真田氏関係の事項
城主(藩主):沼田顕泰
天文元年(1532年)
- このころ、沼田氏12代万鬼斎顕泰、沼田城(蔵内城)を築城し、幕岩城から移る
城主(藩主):上杉氏城代
永禄三年(1560年)
- 上杉謙信の関東進出により、沼田城は上杉氏に帰属する
城主(藩主):沼田朝憲
永禄九年(1566年)
- 顕泰、家督を三男弥七郎朝憲に譲り天神城へ移る
真田氏と時代の動き:武田信玄没(天正元年)翌年幸隆没
城主(藩主):北条氏城代
天正六年(1578年)
- 謙信の死による上杉家内紛に乗じ、沼田城は北条氏邦の支配下に入る
真田氏と時代の動き:長篠の戦(天正3年)で武田氏大敗し真田信綱・昌輝戦死。昌幸家督継承
城主(藩主):真田氏城代
天正八年(1580年)
- 武田勝頼の武将真田昌幸、沼田城を攻略し北条氏の城代藤田信吉を降し、沼田城は武田氏の支配下となる
天正九年(1581年)
- かつての沼田城主沼田氏末裔、沼田平八郎景義が沼田城奪回を計るが、昌幸の策略で伯父の金子美濃守らに謀殺される
- 沼田城代海野能登守輝幸父子、謀反の疑いで、昌幸の命で弟の真田信尹により攻められ自刃する
城主(藩主):織田氏城代・真田氏城代
天正十年(1582年)
- 真田の主君武田氏が滅び、織田信長の将に沼田城を明け渡すが、信長が討たれ再び沼田城は真田昌幸支配下に入る
真田氏と時代の動き:天目山で勝頼自刃し、武田氏滅ぶ。本能寺の変で織田信長自刃する
城主(藩主):北条氏城代
天正十七年(1589年)
- 天下統一をすすめる豊臣秀吉の裁定により、沼田城は昌幸から北条氏政の所有となる
- 小松姫、徳川家康の養女として信幸に嫁す
城主(藩主):真田信幸
天正十八年(1590年)
- 北条氏沼田城代猪俣能登守が、真田氏所有の名胡桃城を略奪したことに端を発し、秀吉の小田原征伐が敢行され、沼田城は昌幸の長男信幸に与えられる。2万7千石
- 信幸、沼田領の検地を行う。貫高制(下河田検地帳)
真田氏と時代の動き:豊臣秀吉の小田原征伐により小田原北条氏滅びる
慶長二年(1597年)
- 信幸、沼田城に間口10間奥行9間、五重の天守を造営する。(一説には慶長12年)
真田氏と時代の動き:豊臣秀吉没(慶長3年)
慶長五年(1600年)
- 関ヶ原の戦で信幸は東軍徳川家康方に、父の上田城主昌幸と弟の信繁(幸村)は西軍石田三成方に別れ、東軍勝利
- 信幸は父の上田領と加増も合わせ、9万5千石の大名となる
- 信幸、名を信之に改める
慶長七年(1602年)
- 信之、沼田城二の丸、三の丸を築造
真田氏と時代の動き:徳川家康征夷大将軍に任ぜられる(慶長8年)
慶長九年(1604年)
- 信之、沼田城西側の水手門と三階櫓を築造
真田氏と時代の動き:徳川秀忠2代将軍に就任(慶長10年)
慶長十六年(1611年)
- 真田昌幸、配流先の九度山で逝去
慶長十九年(1614年)
- 大坂冬の陣が勃発。信之病気のため、長男信吉・次男信政が出陣し、叔父信繁らの大坂方と戦う
- 信之、鍛冶町・本町・材木町に加え、新たに荒町・鷹匠町・小人町を割立てる
真田氏と時代の動き:大坂夏の陣で信繁討死。大坂城落城で豊臣秀頼ら自刃し、豊臣氏滅ぶ(慶長20年)
城主(藩主):真田信吉
元和二年(1616年)
- 信之、上田城に移り、沼田城主を信吉に譲る
元和六年(1620年)
- 信之夫人小松姫(殿)江戸からの帰途、武州鴻巣で逝去
真田氏と時代の動き:上田城主信之、松代に転封となる(元和8年)
寛永四年(1627年)
- 信吉、幕府老中酒井雅楽頭忠世の娘と婚姻
真田氏と時代の動き:徳川家光3代将軍に就任(元和9年)
寛永五年(1628年)
- 川場用水の完成
寛永十一年(1634年)
- 信吉、真田家と領内の安泰を祈り、城鐘(県重文)を鋳造
- 2代沼田城主信吉、江戸にて逝去。42歳
城主(藩主):真田熊之助
寛永十二年(1635年)
- 信吉の子、熊之助、4歳で3代沼田城主となる
寛永十五年(1638年)
- 3代沼田城主熊之助、江戸にて逝去。7歳
城主(藩主):真田信政
寛永十六年(1639年)
- 熊之助の叔父、信政、4代沼田城主となる。42歳
寛永二十年(1643年)
- 信政、このころ領内の検地を行う(貫高制)
正保二年(1645年)
- 信政、このころ幕命により城絵図を幕府に提出
正保三年(1646年)
- 信政、このころ馬喰町・栄町・原新町を割立てる
承応元年(1652年)
- 信政、領内の開発に力を尽し、このころ4か村用水等を開削
真田氏と時代の動き:徳川家綱4代将軍に就任(慶安4年)
承応二年(1653年)
- 小川城在城の信吉の子信利(信澄)、山内忠豊の娘と婚姻
城主(藩主):真田信利
明暦三年(1657年)
- 信之、松代藩主を4代沼田城主信政に譲る
- 5代沼田城主に信利(2代城主信吉の子)が就任。23歳
真田氏と時代の動き:明暦の大火で江戸城天守焼失。関東で五重(層)の天守は沼田城のみとなる
万治元年(1658年)
- 信利、松代藩主継承を幕府大老酒井忠清を後盾に信政の子幸道と争う
真田氏と時代の動き:松代藩主信政逝去。62歳。子の幸道が松代3代藩主となる。7歳
信之、松代柴村で逝去。93歳
寛文四年(1664年)
- 信利、沼田城天守修復、本丸の地形(盛土)。
- 三光院に石灯籠等寄進。このころ、岡谷・戸神・町田用水等を完成させ総検地で表高3万石(貫高制)から14万6千石(石高制)とする
寛文七年(1667年)
- 信利、常楽院に観音堂建立、千手観音菩薩坐像(真田観音)寄進。妙光寺建立
真田氏と時代の動き:徳川綱吉5代将軍に就任。大老酒井雅楽頭忠清失脚(延宝8年)
天和元年(1681年)
- 江戸両国橋用材伐りだし遅延と失政を幕府にとがめられ、信利閉門・改易。信利は出羽山形藩奥平氏へ、長男信就(信音)は播磨赤穂藩浅野氏へ預けられる
(代官)
天和二年(1682年)
- 幕府の命により沼田城は全て破却され、堀も埋められる
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