海野塚
史跡 昭和52年5月30日指定
所在地:沼田市岡谷町1116-3
見学:通常見学可
真田昌幸は、小田原北条氏が藤田信吉に守らせていた沼田城を天正8年(1580)6月、手中に収め、真田一族の海野能登守輝幸を二の丸、藤田を本丸城代に、金子美濃守を執事に据えて9月に甲府へ赴く。
輝幸の兄の幸光は岩櫃(いわびつ)城代であった。この兄弟をねたむ者の「海野は北条と通ずる」との讒言(ざんげん)を信じた昌幸は、弟の信尹に命じて先ず幸光を急襲して討ち、直ちに沼田城に入った。
輝幸は、「主家に二心無き証をたてん」と迦葉山を目ざす途中、岡谷地内で真田勢に追撃された。
輝幸は、真田の検視役・田口又左衛門と沼田一の豪者・木内八右衛門を一太刀で討ち、嫡男幸貞と「無益の殺生はこれまで」と刺し違えて自刃した。
父子をここに葬り、海野塚と称した。
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